よせばよいのに、京に向かって


by princetown
江戸より20番目の宿(まりご)

ここにきて一番嬉しいことがあった。それは鄙びた萱葺き屋根の寂れた一軒家。

実はとても有名なお店で、江戸時代から続いている「とろろ汁の丁字屋」だ。この一帯はむかしから、とろろの産地で、とろろ汁のお店が数軒並んでいたのだそうだ。今ではこの芋を「自然薯」と言う。

本陣1、脇本陣2、旅籠24。

「梅わかな 丸子の宿の とろろ汁」 芭蕉の有名な一句。

これから先は険しい「宇津の山」に向かうので元気をつける意味で、われわれはとろろ汁と安倍川餅を食べて出かけたのでした。白味噌仕立てのとろろ汁と麦飯の丸子定食が定番だった。            

宇津の谷峠の手前には、お羽織屋がある。小田原征伐に出た豊臣秀吉の話が有名で「お羽織」を展示している。そこを過ぎると石段に替わり山の中に分け入る細い道。これが峠に向かう旧街道なのだ。
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# by princetown | 2005-05-07 14:06
江戸より19番目の宿 

歩いたもんだ、江戸より約178km。
駿河の国の国府が置かれたところで、「府中」と呼ばれていた。

また、徳川家康が少年期と晩年をすごしたところでもある。駿府城は、何度かの火災で焼失してしまい、現在は駿府公園になっている。現在は、公園の一角に、駿府城一部が再現されている。お堀や石垣、城壁が往時を思わせる。

大きな掲示板に「駿府城」の由来が書いてある。現在は、本丸と二の丸の間のお堀が埋められ、その外側を囲む中彫りと外堀が残っている。

平成2年(1989)には、二の丸東御門と巽門が復元された。
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# by princetown | 2005-05-03 17:59
江戸より18番目の宿。

江尻と言っても、どこにそんな地名があるのか。今の名前は「清水」。清水次郎長と聞けば、ああ、と分かるはずだ。

広重が描く「三保遠望」は、のどかなもので、沖に白帆が何舟も浮かぶ。対岸は伊豆半島なのだろう。

往時は本陣2、脇本陣3、旅籠50。南に下ると「三保の松原」。「羽衣の松」は、あまりにも有名だ。天女が漁師のために美しい舞を舞いながら天に帰ったと言う伝説の松、樹齢600年だそうだ。

梅陰寺は清水次郎長や古文の大政・小政の墓がある。
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# by princetown | 2005-05-02 17:24
江戸より17番目の宿で、現在の清水市

赤い郵便ポストの横に「清水市 興津宿」次は江尻宿というまあたらし看板が立っている。

奈良時代に建てられた禅寺「清見寺」。清見ヶ関の関寺として創建されたという。前庭には大きく立派な臥龍梅があり、徳川家康が接木したと言われている。

裏山一帯には、至る所に石の五百羅漢が色々なポーズで座っている。

「清見寺という名だな、このお寺は古っぽしいけれど、上等に見えるな・・自分のお寺がきれいだと思われるのがいいか、自分のお寺から見る景色がいい方がいいかどちらだろうな」 山下清 「清見寺スケッチの思い出」よりの看板が立っている。
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# by princetown | 2005-04-29 16:38

江戸より16番目の宿。

当時は本陣1、脇本陣1、旅籠32、宿内総家数160軒、730人が住んでいたという。

由比本陣跡が「由比本陣公園」として復元、整備され、さらに「広重美術館」が建つ。

その反対側には、江戸時代初期に倒幕を企てた由比正雪の生家「正雪紺屋」が現存している。第16代目御当主がマイクを持ちガイドしてくれた。

2km行くと左崖上に、「望嶽亭」がある。富士山の眺望が見事だ。眼下には東海道線と高速道路が狭いところを走る。駿河湾の眺めが美しい。

名物の「さくらえびのかき揚げ」を昼食に食べた。
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# by princetown | 2005-04-27 19:07
江戸から15番目の宿

昔ながらの面影を残す。本陣跡を中心に、富士川河口から駿河湾に向かって細長く6km続く。

広重の「蒲原 夜の雪」が有名だ。

三人の旅人。江戸に下る二人は、蓑を着て菅笠をかぶり、下を向きもくもくと歩く。京に上る一人の老人。傘をすぼめ、杖をつき、高下駄を履き、荷物を背負う。積もる雪道に足跡が十数個。

十数軒の宿は、深々と雪帽子をかぶり、松や杉の木、近くの山々は一面雪の冬景色だ。

江戸期の里謡に「蒲原に過ぎたるものが三つある。出入り、疫病、寺が八ヶ所」と。

地元の誇りは姿えび、日経金アルミ工場。
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# by princetown | 2005-04-25 18:53
ここでも左富士が見られるんです。

話は古くなりますが、万葉の歌人・山部赤人の詠んだのがあの有名な歌です。
「田子の浦ゆ うち出でて見ればま白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りけり」

その田子の浦ですが、いまでは外国船が出入りする港になってしまったんです。

妙法寺が有名です。ご本尊の毘沙門天は、田子の浦に漂着した像で、インド生まれの福の神です。建物はインド風なのでしょうか、赤や黄色や緑の極彩色で、屋根にはドラゴンが舞うんです。もちろん七福神が飾られています。

秋葉山には常夜灯が建っています。かなり大きなもので住宅の石垣にもたれるような感じです。近くの富士川は石ころがごろごろしており、暴れ川と呼ばれていました。

源平の富士川の戦いでは、水鳥が飛びたったのに驚き、平家の軍勢は大混乱に落ち入ったと吾妻鏡が伝えています。
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# by princetown | 2005-04-23 16:00
原宿は江戸より13番目の宿場だ。

新宿の隣が「原宿」と呼ばれているのだが、江戸時代に静岡県の「原宿」から来た人が住みついたのだろうか。赤坂と言う地名も同じことが言えそうだ。

江戸時代には、本陣1、副本陣1、旅籠が25軒あったそうだ。街道は昔のたたずまいが残っているのだが、増改築が進み、宿場としての面影が失われていてとても残念だ。

「静岡県指定史跡 白隠禅師墓」の看板が立つ松蔭寺。臨済宗の名僧としてその名は天下に知られた。

「駿河には過ぎたるもの二つあり 富士のお山に原の白隠」。 民衆にわかりやすい文章や絵で布教した。

江戸から京に上る場合、右に見えていた富士が此処では正面やや左側に見える。-左富士だ。
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# by princetown | 2005-04-20 11:21
沼津宿まで江戸から30里(120km)

江戸時代の画家・広重が「沼津の宿」を描いている。狩野川沿いに数十軒の集落が並び、川沿いを子ずれの二人の旅人が宿に急ぐ。旅人の背中に大きな赤い天狗の顔を担いでいる。

これは何だろうか。もしかして、ドサまわりの田舎芝居の連中だろうか。遠くに中腹まで雪をかぶる富士山が描かれているところを見ると、季節は冬かも・・。

吾妻鏡に神宮造営のため、天城山から切り出した材木を沼津の海で積んだとある。

海に出ると「千本松原」の海岸だ。江戸時代に海風で砂が舞うのでこの砂防林を作った。田子の浦まで続く。広々とした駿河湾だ。

千本松原公園には若山牧水の歌碑「幾山河 越えさりゆかば寂しさの はてなむ国ぞけふも旅ゆく」がある。 
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# by princetown | 2005-04-19 15:54
三島大社は古く平安時代から伊豆の一宮として有名だった。

しかしなんといっても、源頼朝が、戦勝を祈願したこと、北条正子が韮山の蛭ヶ島での結婚披露の夜、三島大社に構えていた源頼朝のところに転げ込んだことで有名だ。

社域は広々として、訪ねたときはサクラが満開だった。入学祈願などの絵馬がたくさんぶる下がっていた。

三島宿と云っても、戦争中に空襲で焼かれて何も往時の面影がない、あるのは、世古本陣址、樋口本陣跡だけ。

長沢八幡神社がある。大きな石の鳥居の右側に、大きな看板に「対面石 源頼朝と義経兄弟」と書いてある。

対面石は1180年に源頼朝が、挙兵を知って奥州から駆けつけた弟・義経と座って対面した二つの石と伝えられる。
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# by princetown | 2005-04-18 13:09