よせばよいのに、京に向かって


by princetown

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江戸より31番目の宿 江戸より270km

浜名湖を渡りきると新居関所跡がある。
今では関所が復元されて、往時の規模の大きさをうかがうことができる。

東の箱根関所とともに東海道の旅人・文物の往来取り締まる新居関所は、当初関所奉行が置かれ、幕府が直接管理していた。

新居関所は、全国に53の関所の中で、最大の規模を誇り、「入り鉄砲に出女」。つまり江戸への武器の流入と、江戸からの西国大名家子女の脱走を中心に取り締まったと言う。

復元された関所は、いくつかの部屋に切られていて、「出女」の取締りの図は、可なり厳しかったことが想像できる。

この関所は、今切関所とも言われて、「海の税関」、今切湊に出入りする廻船の検問をした。
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by princetown | 2005-07-19 21:01
江戸より30番目の宿 日本橋から263km

松並木が見事だ。道の左側に常夜灯が3箇所ある。本陣跡が2、脇本陣が1。
ここは浜名湖の東側に位置するのだが、昔、湖南の陸はつながっており、浜名湖は淡水湖だった。それが1499年の大地震で陸が切れて、外海とつながった。

そこで、次の宿「新居」まで約4kmを船で渡った。今は、中間に、弁天島があり、朱塗りの橋が弁天橋と言う。

常夜灯は、旅人の夜間の便を図るために街道の分岐点や道印の役目を果たした。また、渡船場では、灯台になったりもした。
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by princetown | 2005-07-13 18:06
浜松宿には箱根宿とならぶ6軒もの本陣があったが戦災で焼失した。

見付から浜松へ、昔は天竜川を船で渡った。昼食は浜松の老舗「さかな家」で、うな重を食べました。

浜松は、家康の遠州支配の拠点で、領内の駿府と岡崎を結ぶ伝馬制を始めて、浜松宿の基礎となったと言う。

天下を取った家康だが、三方原の戦いで敗れて逃亡した家康はその途中塩売りの蓑笠を借りて追っ手の目をごまかし、浜松城に入ることが出来たとの伝承がある。

本陣6、旅籠94、人口:6000人。当時としては賑やかな町だったに違いない。 
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by princetown | 2005-07-04 18:01