よせばよいのに、京に向かって


by princetown

<   2005年 05月 ( 6 )   > この月の画像一覧

江戸から23番目の宿。

島田と次の宿「金屋」の間には、「越すに越されぬ」といわれた大井川が流れている。

川幅が広いため深みが少ないのだが、宿駅制度が出来るまでは、旅人が勝手に浅瀬を選んでわたっていたという。

川越賃は勝手に当事者同士で決めていたらしい。人足はわざわざ深みを通ったり、転んだりして、法外な渡し賃を取っていた。

値段は、川の水位で決まり、股通しが700円、脇通しが1400円。水深が136cmになると川留めとなり、宿泊を余儀なくさせられた。

当時の人口は6700人。本陣:3、旅籠:48軒

[PR]
by princetown | 2005-05-30 13:46
江戸より22番目の宿

江戸から歩いて195km。京の都までは500kmあるので、まだまだ。

江戸を出たときには30人ほどいたのが、ぐっと少なくなり、7人のサムライ。一緒に歩いてくださる講師の方もがっかりしていることだろう。

毎回宿場の資料を自費で作成して、歴史の説明をしてくださり、頭が下がります。
持田講師は元銀行マン、定年で第2の職場を斡旋されたそうだが、ソロバン片手の人生はお断りとして、この道を選んだのだ。日当は宿代、旅費を含めて1万円。

余程、歩くことや歴史が好きでないと出来ない。まさに、ボランティアの先駆けだ。

これといった話題のある宿場ではないが、本能寺の変で、堺にいた家康は追っ手を逃れて伊賀を越え伊勢に入り、野武士の襲撃を受け、百姓の孫三に助けられた。感謝の印として、家康は藤枝の白子を与え、諸役も免除され、街は繁盛したといわれている。
[PR]
by princetown | 2005-05-23 13:37
岡部宿 江戸より21番目の宿

本陣2、脇本陣2、旅籠2~7。
岡部は宿場としては一番小さい。何しろ住む人が少ないので、徳川幕府がなかなか認めなかったという。それでもやっとのことで、53番目にできたので、最後の宿場と言うことになる。

源頼朝が鎌倉と京都を結ぶ鎌倉道を整備して、岡部宿を設けた。

とはいえ、徳川家康が天下を統一したときに東海道に伝馬制ができ、岡部は宿駅に指定された。

在原業平は伊勢物語で、難所の峠で「駿河なるうつの山辺のうつつにも 夢にもひとに逢わぬなりけり」と詠んだ。

西行の笠懸松と言う伝説も有名だ。つまり、弟子の西住が雲水のあるまじき行為として破門。形見として笠と筆跡を渡し、袂を分かった。

「西へ行く雨夜の月や あみだ笠 影を岡部の松に残して」との時世を西行から渡された笠に書き残し客死してしまった。街道には多くの足跡を残した西行法師であった。
[PR]
by princetown | 2005-05-18 16:19
江戸より20番目の宿(まりご)

ここにきて一番嬉しいことがあった。それは鄙びた萱葺き屋根の寂れた一軒家。

実はとても有名なお店で、江戸時代から続いている「とろろ汁の丁字屋」だ。この一帯はむかしから、とろろの産地で、とろろ汁のお店が数軒並んでいたのだそうだ。今ではこの芋を「自然薯」と言う。

本陣1、脇本陣2、旅籠24。

「梅わかな 丸子の宿の とろろ汁」 芭蕉の有名な一句。

これから先は険しい「宇津の山」に向かうので元気をつける意味で、われわれはとろろ汁と安倍川餅を食べて出かけたのでした。白味噌仕立てのとろろ汁と麦飯の丸子定食が定番だった。            

宇津の谷峠の手前には、お羽織屋がある。小田原征伐に出た豊臣秀吉の話が有名で「お羽織」を展示している。そこを過ぎると石段に替わり山の中に分け入る細い道。これが峠に向かう旧街道なのだ。
[PR]
by princetown | 2005-05-07 14:06
江戸より19番目の宿 

歩いたもんだ、江戸より約178km。
駿河の国の国府が置かれたところで、「府中」と呼ばれていた。

また、徳川家康が少年期と晩年をすごしたところでもある。駿府城は、何度かの火災で焼失してしまい、現在は駿府公園になっている。現在は、公園の一角に、駿府城一部が再現されている。お堀や石垣、城壁が往時を思わせる。

大きな掲示板に「駿府城」の由来が書いてある。現在は、本丸と二の丸の間のお堀が埋められ、その外側を囲む中彫りと外堀が残っている。

平成2年(1989)には、二の丸東御門と巽門が復元された。
[PR]
by princetown | 2005-05-03 17:59
江戸より18番目の宿。

江尻と言っても、どこにそんな地名があるのか。今の名前は「清水」。清水次郎長と聞けば、ああ、と分かるはずだ。

広重が描く「三保遠望」は、のどかなもので、沖に白帆が何舟も浮かぶ。対岸は伊豆半島なのだろう。

往時は本陣2、脇本陣3、旅籠50。南に下ると「三保の松原」。「羽衣の松」は、あまりにも有名だ。天女が漁師のために美しい舞を舞いながら天に帰ったと言う伝説の松、樹齢600年だそうだ。

梅陰寺は清水次郎長や古文の大政・小政の墓がある。
[PR]
by princetown | 2005-05-02 17:24