よせばよいのに、京に向かって


by princetown

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江戸より17番目の宿で、現在の清水市

赤い郵便ポストの横に「清水市 興津宿」次は江尻宿というまあたらし看板が立っている。

奈良時代に建てられた禅寺「清見寺」。清見ヶ関の関寺として創建されたという。前庭には大きく立派な臥龍梅があり、徳川家康が接木したと言われている。

裏山一帯には、至る所に石の五百羅漢が色々なポーズで座っている。

「清見寺という名だな、このお寺は古っぽしいけれど、上等に見えるな・・自分のお寺がきれいだと思われるのがいいか、自分のお寺から見る景色がいい方がいいかどちらだろうな」 山下清 「清見寺スケッチの思い出」よりの看板が立っている。
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by princetown | 2005-04-29 16:38

江戸より16番目の宿。

当時は本陣1、脇本陣1、旅籠32、宿内総家数160軒、730人が住んでいたという。

由比本陣跡が「由比本陣公園」として復元、整備され、さらに「広重美術館」が建つ。

その反対側には、江戸時代初期に倒幕を企てた由比正雪の生家「正雪紺屋」が現存している。第16代目御当主がマイクを持ちガイドしてくれた。

2km行くと左崖上に、「望嶽亭」がある。富士山の眺望が見事だ。眼下には東海道線と高速道路が狭いところを走る。駿河湾の眺めが美しい。

名物の「さくらえびのかき揚げ」を昼食に食べた。
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by princetown | 2005-04-27 19:07
江戸から15番目の宿

昔ながらの面影を残す。本陣跡を中心に、富士川河口から駿河湾に向かって細長く6km続く。

広重の「蒲原 夜の雪」が有名だ。

三人の旅人。江戸に下る二人は、蓑を着て菅笠をかぶり、下を向きもくもくと歩く。京に上る一人の老人。傘をすぼめ、杖をつき、高下駄を履き、荷物を背負う。積もる雪道に足跡が十数個。

十数軒の宿は、深々と雪帽子をかぶり、松や杉の木、近くの山々は一面雪の冬景色だ。

江戸期の里謡に「蒲原に過ぎたるものが三つある。出入り、疫病、寺が八ヶ所」と。

地元の誇りは姿えび、日経金アルミ工場。
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by princetown | 2005-04-25 18:53
ここでも左富士が見られるんです。

話は古くなりますが、万葉の歌人・山部赤人の詠んだのがあの有名な歌です。
「田子の浦ゆ うち出でて見ればま白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りけり」

その田子の浦ですが、いまでは外国船が出入りする港になってしまったんです。

妙法寺が有名です。ご本尊の毘沙門天は、田子の浦に漂着した像で、インド生まれの福の神です。建物はインド風なのでしょうか、赤や黄色や緑の極彩色で、屋根にはドラゴンが舞うんです。もちろん七福神が飾られています。

秋葉山には常夜灯が建っています。かなり大きなもので住宅の石垣にもたれるような感じです。近くの富士川は石ころがごろごろしており、暴れ川と呼ばれていました。

源平の富士川の戦いでは、水鳥が飛びたったのに驚き、平家の軍勢は大混乱に落ち入ったと吾妻鏡が伝えています。
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by princetown | 2005-04-23 16:00
原宿は江戸より13番目の宿場だ。

新宿の隣が「原宿」と呼ばれているのだが、江戸時代に静岡県の「原宿」から来た人が住みついたのだろうか。赤坂と言う地名も同じことが言えそうだ。

江戸時代には、本陣1、副本陣1、旅籠が25軒あったそうだ。街道は昔のたたずまいが残っているのだが、増改築が進み、宿場としての面影が失われていてとても残念だ。

「静岡県指定史跡 白隠禅師墓」の看板が立つ松蔭寺。臨済宗の名僧としてその名は天下に知られた。

「駿河には過ぎたるもの二つあり 富士のお山に原の白隠」。 民衆にわかりやすい文章や絵で布教した。

江戸から京に上る場合、右に見えていた富士が此処では正面やや左側に見える。-左富士だ。
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by princetown | 2005-04-20 11:21
沼津宿まで江戸から30里(120km)

江戸時代の画家・広重が「沼津の宿」を描いている。狩野川沿いに数十軒の集落が並び、川沿いを子ずれの二人の旅人が宿に急ぐ。旅人の背中に大きな赤い天狗の顔を担いでいる。

これは何だろうか。もしかして、ドサまわりの田舎芝居の連中だろうか。遠くに中腹まで雪をかぶる富士山が描かれているところを見ると、季節は冬かも・・。

吾妻鏡に神宮造営のため、天城山から切り出した材木を沼津の海で積んだとある。

海に出ると「千本松原」の海岸だ。江戸時代に海風で砂が舞うのでこの砂防林を作った。田子の浦まで続く。広々とした駿河湾だ。

千本松原公園には若山牧水の歌碑「幾山河 越えさりゆかば寂しさの はてなむ国ぞけふも旅ゆく」がある。 
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by princetown | 2005-04-19 15:54
三島大社は古く平安時代から伊豆の一宮として有名だった。

しかしなんといっても、源頼朝が、戦勝を祈願したこと、北条正子が韮山の蛭ヶ島での結婚披露の夜、三島大社に構えていた源頼朝のところに転げ込んだことで有名だ。

社域は広々として、訪ねたときはサクラが満開だった。入学祈願などの絵馬がたくさんぶる下がっていた。

三島宿と云っても、戦争中に空襲で焼かれて何も往時の面影がない、あるのは、世古本陣址、樋口本陣跡だけ。

長沢八幡神社がある。大きな石の鳥居の右側に、大きな看板に「対面石 源頼朝と義経兄弟」と書いてある。

対面石は1180年に源頼朝が、挙兵を知って奥州から駆けつけた弟・義経と座って対面した二つの石と伝えられる。
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by princetown | 2005-04-18 13:09
寒い冬の間の旅は厳しい

そこで、春になり再開することにした。箱根峠から三島を眺めるとはるか彼方に霞んでいる。気が遠くなる。11km先だ。

途中、一夜城址がある。秀吉の小田原攻めのときの北条方の出城。豊臣方の鉄砲の前にはわずか半日で落城したところだ。

石は使わず、畝堀り、深い堀、土塁などが自然地形をうまく利用して構築されているが、鉄砲との戦いでは、とてもかなわない。

まもなく、「三島宿」。
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by princetown | 2005-04-15 17:12
うっそうとした杉並木から、時々芦ノ湖が見える。

箱根権現神社の赤い鳥居の前で記念写真を撮った。江戸の日本橋から、約98km。やれやれ、何はともあれ、あの「天下の剣・箱根八里」を越えてきただけでも、自分を誉めてやろう。

芦の湖畔に「箱根町」と「元箱根町」がある。説明によれば、現在の元箱根に宿場を設置しようとしたのだが、ここは「箱根権現」の門前町だったことから、南よりに「箱根宿」と関所を設けたのだそうだ。

大体、関所の任務は「入り鉄砲と出女」。どこの関所も同じなのだが、通行するためには、いろいろな事前申請印や手形印が不一致だと通れない。
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by princetown | 2005-04-13 15:00
箱根登山電車の「箱根湯本駅」あたりの三枚橋で国道1号線と分かれて、早川をわたり、坂道を上がっていくと、車が殆ど来ない静かな旧東海道。奥湯元の街が下方に見え、沿道には右左に温泉宿がある。

畑宿バス停の先、一里塚の支柱と箱根旧街道の案内板があって、そこから樹木がうっそうとした石畳の旧道。最近降った雪が至る所に残り、霜柱が珍しい。石畳は天にいたるかのようで、よくも先人がこの道を作ったものだと感心する。道幅はだんだんと狭くなり、1mあるかないかだ。昼なお暗い坂道。

アスファルトの国道にたどり着いた。茅葺屋根の「甘酒茶屋」で一休み。参加した7名は、疲労困憊で、口をきかない。
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by princetown | 2005-04-12 15:51