五十三次旅日記 23 金谷宿
2005年 06月 01日
江戸から24番目の宿
本陣3、 旅籠51、人口 4000人 (天保14年)
今では大井川鉄道の出発駅があり千頭や寸又峡に行くことが出来るのだが、大井川の西側には、当時、番宿があった。島田宿と同じように、川越業務で人足10名が働いていたという。
牧之原のお茶畑が有名だが、これは明治時代に開拓されたもの、芭蕉の句碑には、
「道のべの木槿(むくげ)は馬に食はれけり」
「馬に寝て残夢月とおし茶の烟(けぶり)」と詠んだ句碑が金谷坂石畳の路傍に立つ。
金谷宿の旧道を西へ、金谷坂石畳をのぼると牧野之原(諏訪原)に出る。更に石畳を行くと間の宿・菊川へ。
箭置(やおき)坂を上ると小夜の山中だ。こちらには「夜泣き石」がある。
「年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の山中」という西行法師の歌碑がある。
七曲の急坂を下ると「日坂宿」に出る。
本陣3、 旅籠51、人口 4000人 (天保14年)
今では大井川鉄道の出発駅があり千頭や寸又峡に行くことが出来るのだが、大井川の西側には、当時、番宿があった。島田宿と同じように、川越業務で人足10名が働いていたという。
牧之原のお茶畑が有名だが、これは明治時代に開拓されたもの、芭蕉の句碑には、
「道のべの木槿(むくげ)は馬に食はれけり」
「馬に寝て残夢月とおし茶の烟(けぶり)」と詠んだ句碑が金谷坂石畳の路傍に立つ。
金谷宿の旧道を西へ、金谷坂石畳をのぼると牧野之原(諏訪原)に出る。更に石畳を行くと間の宿・菊川へ。
箭置(やおき)坂を上ると小夜の山中だ。こちらには「夜泣き石」がある。
「年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の山中」という西行法師の歌碑がある。
七曲の急坂を下ると「日坂宿」に出る。
by princetown
| 2005-06-01 12:50